日本のジンクスは性善説?ジンクスとの国民性との不思議な関係
性善説という言葉があります。この言葉は、概ね「人はもともと良い存在である、良い状態であることを前提に、その後の対策や展開を考える」といった意味合いで使われている言葉です。かたやジンクスは、ハッピー系と不吉系、大きく2系統が存在していますが、そのベースには性善説や性悪説が見え隠れしているように思われます。
ジンクスと性善説(または性悪説)は、何らかの関連があるのでしょうか。ここでは、ジンクスと性善説の関連性について、考察していきます。
性善説とは何か
性善説を辞書で調べてみると、「人間は本質的な『善』であるとする倫理学的または道徳学的な説」とあります。もともとは儒教における中心的な概念で、悪い感情やおこないは、ほぼすべて「後天的に(=あとづけで)生み出されているもの」として、日々のおこないや修行を通じて、本来持っていた「善」の状態に立ち返っていくものである、といった考え方です。つまり、もともとは人間は正しい存在、すべて「良い人」であり、その後の行いや情報に影響されていく中で、「悪い人」になっていく、というわけです。
ジンクスはどちらの立場を取っているか
「性善説」に対して、ジンクスはどのような立場を取っているかというと、結論としては「2系統」あります。性善説に立ったジンクスと、性悪説に立ったジンクスです。性善説のジンクスとしては、たとえば「相手の良いところを見つけていけば、仲良くなれる」や、「人は話せばわかってくれる」といったものです。これに対して性悪説に立ったジンクスは、(正確にはジンクスではないですが)「人を見たら盗人と思え」や、「顔で笑っている人は、腹の中では何を考えているかわからない」が該当します。どちらもジンクスとして有効なので、一概に「ジンクスがどちらかに寄っている」、というわけではなさそうです。
日本のジンクスは性善説が多い
とはいえ日本で流通しているジンクスには性善説が多いのも事実です。これは、国民性が原因であるとも考えられ、欧米と比較すると、個人レベルの裁判沙汰が少ないことからもうかがえます。昔から「腹を割って話せばわかってもらえる」であるとか、「本来の姿を取り戻すために、教育する」といった考え方が浸透しています。「初日の出を拝むと縁起が良いので運が開ける」といったジンクス等、ハッピー系のジンクスが多いところも欧米との比較において非常にユニークです。「国民性が、性善説をベースに成り立っている」ということを前提に、日本のジンクスを捉えていくことで、ジンクスを実現するためのアプローチを工夫することができそうです。