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おばあちゃんの知恵はなぜ当たる?教訓が含まれるジンクスについて

家族
 
ジンクスの中には、時に「人としてどうあるべきか、人としてすべきでない行為とはどのようなものか」といったことを、杓子定規に道徳的な提言ではなく、実際の行動や、経験に裏打ちした形で示してくれるものがあります。「付き合って間もないカップルがディスニーランドに行くと別れる(=混雑や行列との因果関係が見え隠れします)」、「東京タワーが消灯のタイミングを一緒に過ごすとそのカップルは長続きする(=思い出を共有することの重要性を説いています)」等が該当します。

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教訓的な概念とジンクスは、どのような形で結びついているのでしょうか。ここでは、「教訓とジンクスの関係性」について、考察してみます。

 

教訓とは何か

教訓とは何か、を考えてみると、「教訓」というひとことの中には、いろいろな意味が隠されています。単純な意味としては「教えさとすこと」ということですが、そこに説得性がないことには、教訓としては成り立ちません。内容が伴っていて、論理的に正しいものでなければ、誰もそれを真実として受け入れないからです。「教訓的な言葉であること」というのは、意外に敷居が高く、簡単には教訓とは呼べないものは排除されたあとに残っているものが教訓である、と考えられます。

 

ジンクスの裏にある物語

一方ジンクスから「教訓」と呼べるものが読み取れる例として、「幸せの青い鳥」や「サムシングフォー」では「協同して活動することの意味」を読み取れますし、「初詣に行くと縁起が良い、良い年になる」では「節目の振る舞いの重要性」を、「爬虫類グッズを財布に入れると金運がアップする」例では節約や浪費を抑止する意味合いを示唆する、といった具合に、ジンクスはさまざまな角度でいろいろな提言をおこなってくれています。ジンクスというものは、非常にシンプルな表現の中に、経験や実績に裏打ちされた「教訓」を読み取ることができる、貴重な存在であるといえそうです。

 

ジンクスが教えてくれること

教訓という言葉の一部に「教える」という漢字が入っているように、教訓的な要素を持っているジンクスから、何かを教えられることもよくあります。特に古いジンクスについては、科学的な裏付けがないのに、実際にある原因が特定の結果を引き起こす例が多くあり、これらは科学的に明確に立証されていないだけで、真実である可能性も否定できないものであるのです。「おばあちゃんの知恵」に代表されるような「教訓的なジンクス」は、あるシチュエーションに置かれた場合の人のあるべき振る舞いについて、経験則という実績を持って、ある程度の信ぴょう性を帯びた教訓を私たちに伝えてくれているのです。

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カテゴリ: その他

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