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日本民族の謎…3つのルーツの混在により独自の文化が開花した稀な国

1. 望月清文氏の『3重構造の日本人』を読んで


望月清文氏の”感覚と言葉の関係”の研究成果を解説する『3重構造の日本人』という本を読みました。研究手法が斬新なことに敬意を表します。同書では、得られた結果の正当性を確認するため多くの人の研究成果を引用しています。このため全体像を把握するのに骨折りました。

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本稿では、私なりの理解の範囲で、言葉と感性の関係から得られる日本人の源流れを紹介します。本稿に不適切な個所があればすべて筆者の責任であり、望月氏には関係ないことをお断りしておきます。

 

2. ルーツの分析手法

これまでは人の特徴を解析する手法には物理的な分析手法しかありませんでした。望月氏のおかげで、ことばと感性の関係から分析する手段が使える分野が出てきました。両者は背反するものではなく互いに補い合う縦糸と横糸の関係にあると思います。

 

2.1 物理的手法では

発掘された人骨や土器やその他の遺物から特徴を示す項目の値を計測し、分析する手法です。DNAによる分析も含まれます。それらのデータの集積を分析することにより、世界のどの地域の、どの時期に、どのような人間がいたかを把握するのです。この場合もデータの数が増えるほど分析の確からしさが向上します。

 

2.2 感性による手法では

望月清文氏によると、ある(感性)言葉から、視覚や聴覚などの感覚器官が刺激される程度に民族による違いがあるようです。たとえば「固い」という言葉から、触覚だけを強く感じる民族もいれば、視覚や触覚や気分などの感覚までが刺激される民族もいるのです。

 

3. サハラ脱出時期の違い

アフリカ南東部に誕生した新人は様々な方向に拡散しました。北に向かうとサハラの地がありました。今は砂漠地帯になっていますが、間氷期(13万年から9万年頃)のサハラは湿潤で植物が豊富でたくさんの小動物がいるため食料にも恵まれました。サハラ地域から北に向かうこともできたでしょう。ところが9万年前頃から寒冷化が進んでいきます。

 

3.1 早期脱出組は

最終氷期の始まる頃にはサハラを出てシナイ半島経由で中東に移り、そこで5万年ほど生活をします。湿潤で温暖な地の豊かさを体験したことで、感性ことばと感覚器官の関係が豊かになったようです。

この集団は約4万年前頃に東西に拡散していきます。東に向かった集団はツングース地域にまで達して生活します。一部は陸続きの北海道に渡り、時間をかけて日本列島を南下したようです。

西に向かった集団がクロマニオン人です。当時のヨーロッパは氷の世界でしたから、地中海沿ってフランス・イタリア・スペインへと辿る過程で洞穴文化を開いていきます。氷河期が終わるころからは、北に移動するトナカイを追って北に移動します。ポルトガルには集団の一部が今も残っています。

 

3.2 中期脱出組は

間氷期の終わる頃、サハラ北東部に移動した集団です。5.5万年前頃までにアフリカを脱し、早期脱出組と同じ経路でレヴァント地方からメソポタミア地方に達したようです。彼らはこの地で生活する間に感性が豊かになったようです。農耕の技を学んでユーラシア大陸を東西に拡散します。

西に向かった集団の一部はフランス、イタリア、スペインなどのラテン系地域を移動します。別の集団はドイツ地域に進出します。

東に向かった集団はイラン東部の高原を下り、インド亜大陸西北部の平野に出てインダス文明を支えたドラヴィダ族の祖になりました。一部はタミール地方を経て中国南部に進出します。この地から海路で日本に稲作技術をもたらします。

 

3.3 晩期脱出組は

砂漠化の進行のなか、エチオピアなどのサハラの南東部に退避したと思われる集団です。5万年余を過酷なこの乾燥の地で過ごし、バベルマンデブ海峡を渡ってアラビア半島の海岸線を移動し、ホルムズ海峡を渡ってイランに入り、インド亜大陸から東南アジアに入ります。長い間厳しい砂漠の環境にいたため、ことばと感性の関係を豊かにする余裕がなかったようです。

中国の内陸部を北上した集団はその地で寒冷地適応をします。中国型歯列をもつのが特徴です。集団の一部はベーリング海峡を渡りアメリカ大陸に移動しました。後に韓半島経由で日本列島に渡来した集団もいました。弥生人です。

海岸線を北上し東シベリアに到達した集団もいます。この地域で細石器と楔形細石核を特徴とする文化を築きます。一部は樺太経由で北海道に渡ります。
海岸線を北上した集団の中に途中で沖縄に渡った集団もいました。

 

4. サハラ脱出期の違いから日本民族をみる

人の集まりが異なる最も基本的な要因は個人個人が異なるためです。その次に家族の中の生まれた順序も通った学校や塾や部活の違い、高校や大学の違いなどになるでしょう。さらに生まれ育った県の違いや職業の違い、読んだ本の違いなどもあるかもしれません。望月清文氏の研究によれば、感性言葉と刺激を受ける感覚器官の種類や数は人の集団を大きく分けるのに有効です。すなわち、サハラを脱出した時期の違いが感性言葉から刺激を受ける感覚器官の違いを生み出し、今日まで継承されているようです。

(1) 早期脱出組型日本人(多感性型人類)

感性言葉から刺激される感覚器官が多い集団です。祖先は樺太経由で北海道に渡来しさらに本州を南下しました。早い集団は数万年前に日本列島に来たのでしょう。旧石器時代を通じて日本列島で狩猟・漁労の生活をした集団です。望月氏の著書にあるグラフから推定すると、各地方の人口に占めるこの集団の割合を高い順に並べると、[九州50、北海道40、東北33、中部23、沖縄23、中国13、近畿9]となります。九州地方の割合が高いのは人の流出が少ないためではないでしょうか。東北地方はもっと多いはずですが、政治的な理由で人の出入りが多かったためではないでしょうか。

(2) 中期脱出組型日本人(中感性型人類)

言葉から刺激される感覚器官が早期脱出組よりやや少ない集団です。人口に占める割合の高い順に並べると、[中部50、中国47、九州37、東北30、北海道18、近畿17、沖縄0]となります。祖先は稲作技術をもった集団で、中国の江南地方から九州に船で渡来した集団です。そこから本州各地に拡散するのですが、近畿地方では後に韓半島から渡来した晩期脱出型日本人に中部地方や中国地方に駆逐されたのでしょう。近畿地方の割合は低くなっています。

(3) 晩期脱出組型日本人(単感性型人類)

言葉から刺激される感覚器官が少ない集団です。刺激を受ける感覚器官の数が少ない分、強い刺激を受けるのではないでしょうか。このため強く反応します。喜怒哀楽が激しく、怒りも強く表現する可能性があります。それだけに見かけによらず裏のない人種でしょう。人口に占める割合の高い順に並べると、[近畿74、沖縄70、北海道42、中国40、東北37、中部27、九州13]となります。近畿と沖縄が突出しています。近畿に隣接する中国地方も比較的高い割合です。他の地方は北海道から南下するにつれ割合が低下します。このことから、単感性型日本人は、沖縄に直接入った集団、韓半島から近畿に入った集団、樺太経由で北海道に入って南下した集団があったと考えられます。

 

5. まとめ

日本には人類のサハラの脱出時期に関して、早期脱出組と中期脱出組と晩期脱出組のそれぞれの子孫が住んでいる世界でも珍しい国です。さらに晩期脱出組でも移動ルートの違いから、新モンゴロイドと旧モンゴロイドが住み、さらに沖縄の人々もいます。自然に敏感で色や匂いに多感な日本は早期脱出組型日本人が作り上げたのでしょう。この集団の特性をもつ者は日本だけです。他の民族に理解してもらおうと思ってもなかなか難しいのではないでしょうか。なお、スウェーデン人やポルトガル人のなかにも理解しあえる人がいるようです。

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カテゴリ: その他

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