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自分にとっての「お守り」がパワーストーンなった出来事。神社で買わなくなったのはなぜ?

お守り

 

占い、パワーストーン、パワースポット、風水など目には見えないものであったとしても、日本人はこれらを信じる傾向にあると思います。
私はパワーストーンショップを運営している立場として、これらの非科学的なものに対しては比較的肯定的な考えを持っている一人かもしれません。

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見えないものでも信じることはできます

根拠はないが、まず否定はできない。
そんな気持ちを持っています。

 
なぜなら、少なからず私の運営するショップにおいて、多くのお客様よりパワーストーンによる何かしらの力を感じるというお声を聞いているからです。
『信じるものは救われる』なんて言葉がよく耳にしますが、『信じた事で救われた』そんな方達が多数日本にいるような気がします。

 
パワーストーンはもはや一時的なブームではなく、潜在意識を高める為や呼び起こす為のツールとして考えてもいいのではないかと思います。

 
これを読まれている読者の方達もこれまで生きてきた中で、お守りというものに触れたことは一度はあると思います。
そのお守りとしての地位をパワーストーンは今後も担っていくと思います。
私はパワーストーンに出会う前から毎年お正月に決まっていく神社がありました。
そこでお守りを買い、一年間お財布に入れて持ち歩く

 

 

パワーストーンと出会って、お守りに対する考え方が変わりました

しかし、本来、お守りをただ持つだけでは意味がないような気がしてきたのは、パワーストーンと出会ってからです。
というのも、毎年お参りにいくのはいいのですが、行くことで満足し、お守りを買うことで満足する。
そして、お財布に入れていることで満足する。
そして一年間そのまま放置し、またお正月を迎える。
これでは本来のお守りの役目としては不十分な気がします。

 
お守りというのは、『身近に持つもの』ではなく。『意識的に見るもの』だと私は思います。
もしお守りが神様の分身だとするならば、いつもは忘れているにも関わらず、困った時だけ、神頼みをしているようなものです。

 
ピンチになった時や救って欲しいときだけ、そのお守りに頼る、それでは、神様も味方をしてくれないのではないでしょうか。

 
このように考えるようになり、もしかしたら、毎年神社で購入しているお守りよりも、常に身に付けることができ、意識せずとも目につき、意識することが自然とできてしまうパワーストーンのほうが、自分にとっては、お守りとして必要なものではないかと考えるようになったのです。

 

 

パワーストーンを祈祷してもらうことも可能

神社に売られているお守りは祈祷されているものであり、その神社に祀られている神様が宿るともいわれています。
そしてその祈祷も、お願いすれば個人でも行なって頂くことは可能です。
最近では、石を神社にもっていき、祈祷をし、そしてお客様にお渡しするというサービスをしているパワーストーンショップもありますが、これをすることで、考え方としては、神社で売られているお守りと同じ意味合いを持つものになると私は思います。
今でも毎年お守りはその神社に参拝し購入していますが、パワーストーンと出会い、そのお守りに対する思いも変化してきました。

 
昔よりも意識的にそのお守りを見る考えるようになったのは、間違いなく石との出会いがあったからです。
お守りを持ち、感謝の気持ちを忘れない、その考えは、パワーストーンを持ち感謝するのと同じです。
非科学的なことだからこそ、おろそかにしてしまうのかもしれませが、冷静に自分を見つめ直す時間を設ける機会を与えてくれる存在、これが自分の一番身近にあるパワーストーンであり、お守りなのではないかと私は思います。

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この記事は当ブログのライター「ねみねみ」が書きました。

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