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シュメール民族の謎:メソポタミアの地に東方から移住した頭の黒い人々。シュメール人

シュメール人

 

1.はじめに

BC 4,000年頃、チグリス・ユーフラテス両河に挟まれたメソポタミアの地に、東方から移住した頭の黒い人々がシュメール人です。その後およそ2,000年の間、農牧業と灌漑、漁業、造船と航海、文字による記録、数学や天文学、法律、冶金など、後の人類に有用な文明を発展させて残しました。ギリシャ文明はもちろん、エジプトやインダス文明の源もシュメールにあります。旧約聖書の創世記の物語の多くはシュメールが源です。彼らの子孫はBC 2,000年頃の他民族の侵略と破壊で歴史から消えます。わが国への渡来を唱える説もあります。

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2.メソポタミへアへの定着

メソポタミア南部は2つの大河と大小の支流、湖沼群からなる水の地です。
北部からウバイド人が移住し農業を営んだものの、遊牧民の移住などもあって故地に戻ったようです。BC 4,000年代のことです。ところがシュメール人の移住で農業は飛躍的に発展します。
農地と作物種とその収量の増大です。川のせき止めと排水で水面下の地を耕作地に変え、水路で水を制御し、灌漑にも使います。豊富な食料や加工技術を携えて遠方の地と交易し、鉱物資源や富を得て、神殿中心の都市国家(市国と略称)として成長します。
特定の神を守護神とし、王や神官を代理者とする複数の市国が競い合います。ウル、エリドウ、ニップールなどです。

 

 

3.支配の変遷

メソポタミア南部はシュメール人の市国が並立しました。史家は初期王朝時代と言います。発展の結果は市国同士の抗争です。北方のアガデ市国のセム系サルゴン王が諸市国を征服し、統一国家アッカド王朝を樹立します。しかし諸市国の叛乱が続き、隙を突いた異民族グテイがアッカド王朝を倒し北部地域を100年ほど支配します。

 

その後、ウル市国のウル・ナンム王、ラガシュ市国のグディア王が台頭し、ウル第3王朝として支配します。五代目の王イビ・シンのときエラム人との戦いに敗れ、王はエラムの地に連行され、諸市国は壊滅し、シュメール人は歴史から消えます。政治体制とは関係なくシュメールの文明はオリエントの各地に引き継がれます。その後のメソポタミアの地はアッシリア、次いでバビロニアが支配します。なおユダヤ人の祖と言われるアブラハムと妻サラはシュメール人で市国ウルの王族の出身です。

 

 

4.進んだ文明

後の社会に使われる事物の多くはシュメールに起源があります。主な事項を列挙します。

 

4.1 理工学的事項

(1) 円筒印章による印刷術
(2) 楔形文字と粘土板への記録
(3) 治水技術
(4) 医療技術
(5) 建築技術  神殿の建築など
(6) 造船と航海技術 遠洋航海船舶の造船や航海技術
(7) 冶金・金属加工技術 金・銀・銅の精錬、真鍮の作成
(8) 数学   60進法の発明
(9) 天文学  太陽系の誕生や歳差運動などの地球に関する知識。暦法発明

 

4.2 社会事象的事項

(1) 史的事績の記録 創世記の記述の源はシュメールにあります。
(2) 学校制度
(3) 経済活動とその記帳
(4) 対外貿易  金・銀・銅・錫などの輸入
(5) 法律 ハムラビ法典以前の法制度

 

 

5.その後のシュメール人

岩田明氏のシュメール人ホータン民族説を紹介します。商船大のご出身で一等航海士の氏は、シュメール人が記録した材料リストに基づいて遠洋航海船を建造し、インドから日本への航海を試みた実践の人です。海からの目線で古代史を捉える手法は示唆に富みます。以下はシュメール民族に関する氏の見解の部分的な紹介です。

 

シュメール民族の原郷はヒマラヤ山脈の北にあるホータンの地です。馴染みのあるモヘンジョダロを経由してメソポタミアに移りました。エラム人によって滅ぼされたBC 2,000頃にモヘンジョダロを経由して各地に移ります。その一部は海路で日本に、別の一部は大陸北部の草原地帯から朝鮮半島を経て渡来したと言います。天神族と出雲族です。

 

 

6.神との関係

アヌンナキ(神々)は40万年ほど前に地球に飛来した異星人です。母星(ニビル)の大気を維持するために金を必要としたのです。アフリカ南東部で鉱山開発を進めました。エンキ神の下で異母妹(ニンフルサグ)と息子(ニンギシュジッタ)とが協力し地球人を生み出しました。目的は労働力の確保ですが、後に生殖能力を与えたことから短期間に増えていきます。

 

飛来当時は数百人のアヌンナキだけの地球が今や様変わりです。そのうえ神々(の子)と地球人の娘との間に混血の子ができます。母星の1年は地球の3600年分に相当するので神々は長命です。神々の血の濃い子孫は長命ですが、世代が下るにつれて短命になります。シュメール人の時代は初期のアヌンナキは引退し、その子孫が各自の市国で神として君臨し、支配を王や神官に委ねて覇権を競わせます。世代を経るにつれ神々の団結が緩み、自己中心的にならざるを得なかったのでしょう。
神々の時代は終わるのです。

 

 

7.まとめ

シュメール民族が果たした貢献の一端を紹介しました。出自のほか、どのようにして知識や技術を獲得したか、また真の滅亡の原因は何だったかなど、知るべきことは多く残されています。なお、ゼカリア・シッチンによれば、シュメールの壊滅はマルドゥク神の宇宙基地奪取の野望を阻止するための核兵器攻撃が生んだ死の灰の拡散によるようです。

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カテゴリ: その他

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