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Googleマップで見ることができる不思議スポット「マヤ文明」滅んだ理由は干ばつだった?

マヤ文明

 

マヤ文明は、メキシコの南東部、グアテマラやベリーズを中心とした一帯に発展した。
マヤは1つの国ではなく、都市国家の集合体である。幾つもの都市国家がこの地域一帯に繁栄しては滅び、又それぞれ繋がりを持ち、その全てが1つの大きな文明となった。
マヤ文明は、紀元前1000年頃から16世紀にかけて、2600年もの間繁栄を続け、忽然と姿を消した。ジャングルの奥に、その遺跡だけが残されている。

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他に類を見ないマヤの知識と技術力の高さ

世界的にも有名なマヤの遺跡チチェン・イッツァ、そこに建つククルカンの神殿には、1年に2回、春分の日と秋分の日に蛇の姿が浮かぶ。
階段の影が、神殿の壁面をよじ登る蛇の姿となって現れるのだ。この神殿が建てられたのは600~900年頃と考えられている。
この時代に、マヤ人は地球と太陽の位置関係、地球の公転周期を熟知し、それを数値として捉えた上で角度や距離を計算し、1ミリの狂いもない正確な建築を行ったということである。

 
また、マヤ文字と呼ばれる象形文字を持つことで知られる。
1960年頃に一部が解読されるまで、ただの絵だと思われていた遺跡に彫られたマヤ文字は、暦や、マヤの歴史について書かれたものであった。マヤ文字の全貌はまだ明らかにされていない。

 

 

マヤ文明滅亡の理由は干ばつ?

ジャングルの中に今も残る数多くの遺跡、天体観測の技術、数学の知識、そして壮大な世界観と暦を持つ偉大なマヤ文明は徐々に衰退し、最終的に、スペイン人の侵略により16世紀に姿を消した。偉大な文明が衰退し、滅亡に至ったきっかけは一体何だったのだろうか?

 
2012年にSience誌に発表された説によると、マヤ滅亡の原因は、干ばつであった。
メキシコとイギリスの研究機関の調査によると、ユカタン半島のいわゆるマヤ地域と呼ばれる一帯に、9世紀から10世紀にかけて度々干ばつが起こった。1回の干ばつは数年続き、それが繰り返し起こったと言う。河川が無く、雨水を唯一の水源とするマヤ地域の生活は徐々に厳しいものになっていった。

 
マヤの知識で気候の変化を予測することはできなかったのだろうか?あるいは、マヤの技術で地下水や海水を使うことはできなかったのだろうか?その理由は謎である。そもそもマヤの叡智は、習得された物ではなく、与えられた物だったとしたら…。

 

 

干ばつに端を発する国家の衰退

干ばつで生活が苦しくなったこと以上に、マヤを衰退させたのは権威の失墜であった。 マヤの王は高度な知識を持つことで人々から尊敬を集めていた。

 
干ばつが続き、雨を降らせることができない王に対し人々は不信感を抱き始め、王の一族が虐殺されたのでないかと考えられている。
この説を裏付ける証拠がある。2005年、カンクエン遺跡で、子どもや妊婦を含む31体の人骨がまとまって発見された。
高価な装飾品を身に付けており、身分の高い人々であったと想像される。手足を切断された人骨もあり、虐殺された様子がうかがえるという。

 
マヤ文明を形作っていた多くの国家が、こうした虐殺や国同士の争いの果てに姿を消した。2600年続いた偉大なマヤ文明は、自然の脅威により終わりを迎えたのであった。

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