秦の始皇帝陵のミステリー!水銀と財宝にまつわる謎
中国の「秦始皇帝陵及び兵馬俑」が、建設からおよそ2200年以上にわたって発見されなかった、または発見されていたとしても世界的に公表されることはなかった理由として、そもそも建設時から公表する意図がなかったことや、公表することが憚れる何かがあったこと、ひいては国際的政治的な事情があったことなど、多数の仮説や憶測が含まれているものの、ミステリー的な要素が完全に払しょくすることなく現在に至っていることは事実です。
しかも、「秦始皇帝陵及び兵馬俑の7つの謎」といわれているように、謎の全貌を知るためのとっかかり的な謎も、いくつか現存しています。
順を追って7つの謎に迫り、そもそも発見されなかったのはなぜなのかというところの解明に近づくアプローチをとっていきたいと思います。
水銀に関する謎
いくつかある謎の中でも、多くの人々が取り上げているのが「水銀に関する謎」です。
中国前漢の武帝の時代、紀元前145年頃に当時の歴史家である司馬遷が著したとされる『史記』や、その後の時代である後漢に班固、班昭といった人物らによって著されたとされる『漢書』などによれば、「水銀を使って、始皇帝陵(や周辺の兵馬俑)に、河川および海を作成した」とあります。これが事実であるとすれば、始皇帝陵を建設する際に水銀を使用していたといことになります。
実際、秦始皇帝陵の地質調査の結果、周囲の土壌よりも異常に水銀含有量が高いという報告がなされていることから、史記や漢書の信ぴょう性は高いという見方もできます。
墓陵の建設に水銀を使ったことがその後長年にわたって発見されなかったことに直結するとは考えにくいのですが、何らかの影響を及ぼした可能性はあるのではないかと考えられます。
財宝に関する謎
次に、高貴な身分の人物の墓陵にはありがちな「財宝に関する謎」も、長期間にわたって墓陵が発掘されなかった、または公表されなかった、もう少し踏み込んで考えると、もとから公表される予定がなかったと考えるに十分な証拠のひとつであると考えられます。
エジプトの有名なツタンカーメン王の墓などにもいえますが、宝石や金属、その他現代でもエネルギーに転化できるような物品等、王家ならではのいわゆる「財宝」が墓陵に隠されている可能性はあります。
日本でも「徳川埋蔵金」のキーワードで、財宝の謎が半ば都市伝説と化しているという事実もありますが、財宝が絡むとわかりやすい秘匿化が進むことも一般常識として広く浸透しています。
このあたりの事情も長年発見されなかった理由を構成するひとつの要素なのではないかと考えられます。