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竹取物語はいつ作られた?成立とストーリー変質の理由

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竹取物語という物語があります。この物語は、日本で生まれたり、日本に長く住んでいる方ならまず知らないことがないほど、非常に有名な物語であり、桃太郎や浦島太郎などと並んで、代表的な日本の昔話として有名です。

これほど有名な物語であるにもかかわらず、「作者は不詳」とされています。誰もが知っている物語なのであれば、それは長年「必要な物語」として引き継がれ続けてきた重要なもの、と考えられます。そんな重要な物語にもかかわらず、なぜ作者不詳なのでしょうか。

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物語の成立はいつ頃なのか

まずは「なぜ作者不詳のままこんにちまで引き継がれてきたのか」を考えていきましょう。

物語であるからには、誰かが何らかの形で発想して、形にして、そして定着してきたものである、と思われます。竹取物語に触れている、現存しているもっとも古い書物としては『大和物語』や『うつぼ物語』等があげられますが、これらは10世紀に書かれたものである、といわれていますので、その書物に竹取物語がすでに出てきているということは、少なくとも10世紀以前には物語が成立していたことが考えられます。

研究者によると、9世紀後半から10世紀中頃に成立した、との説が有力である、とのことです。

 

物語の内容の変換

また、竹取物語の成立時点のストーリーが、細部に至るまで全く変わらず、こんにちまで引き継がれてきたわけではないようです。

千年以上もの年月の間に、かなり成立当初の物語に手が入り、後世になればなるほど、ストーリー自体や解釈のされ方が変換しています。いってみれば、ストーリー自体が生き物のように変わってきている、ということです。

このあたりも、竹取物語の大きな特徴です。

 

物語の解釈と作者不詳の関連性

さらに、ストーリーと共に返還を続けている「物語の解釈」を見てみると、あくまでも日本人としての「育ての親のおじいさんとおばあさん」に「(公家を含む)やんごとなき人々」に加えて登場している「かぐや姫」にまつわる解釈が、大きく変わってきています。

いくつか例を見てみると、人間の考え方の本質的なところを擬人化したものであるとか、女性の象徴であるとか、果ては宇宙人または月の人であるとか、非常にバラエティーに富んでいます。

様々な仮説を許容することになっているのは、皮肉なことに「作者不詳であるから」なのですが、なぜ「作者不詳であれば解釈が定まらないのか」といえば、作者がいる場合にはあるはずの「物語の本当の意図、言いたかったこと」や「物語作成の目的」などが、明確に語られることがないからです。

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カテゴリ: その他

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