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アーサー王の伝説の地、王の居城キャメロット

アーサー王

アーサー王の伝説で、今は失われたとされる謎の地はいくつかありますが、そのなかでも特に有名なのが「キャメロット」と「アヴァロン」ではないでしょうか。

キャメロットとは、アーサー王が統一したブリタニアの王国ログレスの都とされる場所。そしてアヴァロンとは、反乱を起こした甥(または息子)のモルドレッドを打破り、自らも瀕死の重傷を負ったアーサー王が復活の日まで眠るとされる魔法の島のことです。

これまで、アーサー王の伝説を追い求める人たちは、このキャメロットとアヴァロンが実際にあったのか、そしてそれはどこなのかを探し続けて来ました。

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いくつもあるキャメロットの候補地

イングランドのサマセット州の小さな町、グラストンベリーにある「カドベリー城」こそアーサー王のキャメロンの城であるとしたのは、16世紀の古物研究家のジョン・リーランドという人でした。現在は何も建物が残ってはいませんが、発掘調査ではアーサー王がいた時代とされる5、6世紀の頃に城砦があったことが確認されています。

ウェールズ南部の「カールレオン(カーリアン)」もキャメロットの地であるという説があります。ここはローマ帝国の統治時代にはイスカ・シルラムという名前の要塞都市で、ブリタニアに駐留したローマの第2軍団の本拠地でした。

ウェールズの聖職者で歴史家のジェフリー・オブ・モンマスが12世紀に著した「ブリタニア列王史」では、アーサー王の戴冠式がここで行われたとされています。また、1188年に第三次十字軍の募集のためにウェールズを訪れたジラルダス・カンブレンシス(ウェールズのジェラルド)の旅の記録では、このカールレオンでかつてローマの大使をアーサー王が謁見したと記しています。

 

 

円卓が残された城

イングランド南部のハンプシャーにあるウィンチェスターのウィンチェスター城も、キャメロットの候補地として有名です。

この城のグレートホールの壁には直径5.5メートル、重さ1200キロもある大きな円卓が飾られていますが、アーサー王の肖像と24人の騎士の名前が刻まれているこの円卓こそがアーサー王の円卓であると考えられてきました。しかしこの円卓は、実際は14世紀のものであることが確認されています。

そのほかイングランド北部のカンブリア州にあるカーライルもキャメロットの候補地とされていますが、ここはアーサー王が滞在する場所とされ、王が持っていたいくつかの城のひとつかも知れません。

 

 

現代人の心にも刻まれ続けるキャメロット

このように、キャメロットの候補地はイングランドやウェールズにいくつも存在します。
しかしそのどれもが決め手に欠いており、そもそものアーサー王実在の謎とともにいまだに真実はわかっていません。

話は少し変わりますが、暗殺されたアメリカのケネディ大統領の一家やその周辺の人たち、あるいはケネディの時代はキャメロットと呼ばれました。

これはもちろんアーサー王の宮廷としてのキャメロットから来た呼称で、王がいた歴史の無いアメリカにあって王と円卓の騎士が集い、希望や勇気をつくり出すものの呼び名として使われたのだそうです。

まさにアーサー王のキャメロットとは、そういった希望や勇気を象徴する場所として長く人びとの心に刻まれて来たのでした。

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