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日本3大祭り祇園祭 パワースポット八坂神社

京都の中心地、祇園にあり京都市民からは、”祇園さん“と呼ばれ親しまれている。それは、明治維新までは、祇園社または祇園感神院と呼ばれていた。

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それが明治政府の廃仏棄却により、改称されたが、未だに祇園さんと呼ぶのは、京都町衆の意地が垣間見える。

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八坂神社の祭神は

祭神は、かってスサノオノミコトと同一神とされる牛頭大王を祀っていた。牛頭大王は、元々インド祇園精舎の守護神で、日本ではスサノオノミコトと集合して、防疫神として信仰された。

現在は、スサノオノミコト、クシナダヒメノミコト、八柱御子神の3神を祀っている。京都の大祭「祇園祭」は、八坂神社の祭礼で、実際の名は、御霊会と呼ばれ、御霊封じのお祭りであった。

それと言うのも、京都市中を疫病が大流行し、多くの死者が出た。それは霊の祟りと考え、それを封じるために京都の町衆が政府の反対を押し切って、毎年行ったものだ。


八坂神社の末社に、疫病神社がありそれにまつわる伝説が残っている

昔このあたりに蘇民将来、巨丹と言う兄弟が住んでいた。そこにみすぼらしい恰好をした老人が一夜の宿を求めてきた。兄の巨丹は中へも入れず冷たく追い返したが、弟の将来は、温かく迎え入れ泊めてやった。

一夜明けて老人が帰るとき、「自分はスサノオノミコトだ。軒先にこれを吊るしておきなさい」と言って茅の葉を置いて行った。それを言うままに吊るしておいたところ、周りの家の大半が疫病で亡くなったが、蘇民将来の家だけは助かったという。

その伝説は今でも京都の庶民の中に息づいている。京都の家の軒先に、茅の葉が掲げられている。そこには「庶民将来の孫」と書かれているのだ。

そしてもう一つ、祇園祭の際に配られる茅の葉にくるんだ餅がある。それも疫病退散のまじないとして軒先に吊るしてあるのだ。

7月1日から31日までの1ヵ月間、京都は、「コンチキチン」の祇園ばやし一色になる。その華やかな祭りの裏にはこうしたエピソードがあったのだ。


八坂神社ほどミステリアスな神社はない?

八坂神社ほどミステリアスな神社はないと言われている。毎年、12月の大晦日,[おけら参り]という奇習が今でも行われている。

藁の紐の先に神火ををつけ、それをぐるぐる回しながら家に持ち帰り、かまどに火をつけ、ご飯を炊くと一年中無病息災でいられるという。

幼いころはよく行ったものだが、今では電車の中に持ち込めず、またかまどでご飯を炊く習慣もなくなり、だんだんこの奇習もすたれていくのだろうか。

八坂神社は、こうした数々の伝説を持つ京都最大のパワースポットと言えよう。

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カテゴリ: パワースポット

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