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龍神のパワーが息づく寺「目黒不動尊」東京パワースポット巡り3

目黒不動尊は正式名を泰叡山龍泉寺といい、天台宗のお寺です。
江戸城の裏鬼門を守るお寺という説がありますが、歴史は古く平安時代の天台宗第三代座主である慈覚大師円仁が開基であるとされています。

 
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円仁は少年時代にこの地で宿をとったときに神人の夢を見たのですが、その後唐に留学し、長安の都で青龍寺を訪れ不動明王を拝んだところ少年の時に見た神人と同じお姿であり、帰朝後すぐに不動尊像を彫ってこの地に安置したのが目黒不動尊の始まりだそうです。

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江戸時代のはじめに上野寛永寺の子院・護国院の末寺となり、江戸の霊的都市計画を行ったと言われる天海大僧正の弟子である生順大僧正が龍泉寺の兼務となると、徳川家光の庇護を受けて復興・繁栄しました。
本尊はもちろん不動明王で、成田不動尊と並んで日本の三大不動尊に数えられています。

 

裏鬼門と江戸の五色不動

先の記事でも触れましたが、日本の中心とすべく江戸の都市計画が行われたときに、鬼門(北東の方向)を守るお寺として上野の寛永寺が、裏鬼門(南西の方向)を守るお寺としてこの目黒不動尊が配されたという説があります。この陰陽道や風水に基づく霊的な都市計画が天台宗の天海大僧正によって行われたとすると、もともとこの地を守っていた目黒不動が始めから意識されていたのは当然のことかも知れません。

また同じく江戸城を囲む結界をつくって守るように、目黒不動(目黒区龍泉寺)、目赤不動(文京区南谷寺)、目白不動(豊島区金乗寺)、目青不動(世田谷区最勝寺)、目黄不動(台東区永久寺と江戸川区最勝寺)の五色六ヶ所の不動尊が配置されていますが、目黒不動尊がそれらの結界と鬼門のラインを結ぶ重要なパワースポットであったと言えるのではないでしょうか。

 

龍泉寺…龍神のパワーを感じられるお寺

目黒不動尊は正式名が龍泉寺であるように、龍神と関係の深いお寺であると言えます。
目黒不動尊の境内には「独鈷の滝」という場所があって、これは開祖の慈覚大師円仁が唐の青龍寺に清らかな滝があったのを思い出し、試みに独鈷(煩悩を砕く仏具)を投げたところ、たちまち泉が湧き出て滝になったと伝えられています。

この独鈷の滝では、銅製の龍口から水が注ぎ落ちていますが、龍と瀧といえば鯉が滝を昇って龍になったという「登竜門」の故事にあるように大きな関係があります。また風水では気の流れは龍脈と称され、江戸を貫く鬼門のラインに沿って裏鬼門を守る目黒不動尊は、この龍脈に上にあると言えます。ですから、この独鈷の滝は龍神のパワーを感じることができる場所かも知れません。

 

様々な仏様が集まる境内

目黒不動尊の本尊である不動明王は秘仏とされ、12年に一度しかご開帳されません。ですがその代わりに、広い境内には実に様々な仏様がいらっしゃいます。

大本堂の裏には不動明王の本地仏とされる大日如来像が安置され、独鈷の滝には水かけ不動、その横の垢離堂には青龍大権現がお祀りされています。そのほか愛染明王や、不動明王の眷属(けんぞく)で不動明王に従い人々を救う八大童子、さらには修験道の役行者まで祀られています。

役行者(役小角)は日本の修験道の開祖と言われる人ですが、その霊場である奈良県の吉野、天川村には同じ龍泉寺という名前のお寺があります。こちらの龍泉寺は役行者がこの地に泉を見つけ「龍の口」と名付けて祠をつくり、八大龍王を祀ったのが始まりとされていますから、吉野と目黒は役行者と龍を通じて大きなつながりがあるのかも知れません。

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