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パワースポット探訪:柔らかな光が優しく満ちる蜂子神社(山形)

Shrine-303
 
東北で唯一、皇族が埋葬されている墓があります。

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出羽三山の開祖と呼ばれる、蜂子皇子の墓です。

 

出羽三山の開祖、蜂子皇子の物語

蜂子皇子が、出羽の地へ来たのは、593年ごろのことです。
蜂子皇子の父である崇峻天皇が蘇我馬子によって暗殺されたため、聖徳太子の勧めを受けていた皇子は、倉橋の柴垣の宮を出て、越路を下り、能登からから船で北へ逃げのびます。

佐渡を経て、現在の鶴岡市の由良にたどり着いたとき、八乙女浦にある舞台岩と呼ばれる岩の上に、八人の乙女が笛の音に合わせて神楽を舞っているのを見た皇子は、その美しさに惹かれて上陸したそうです。

美しい女性たちが海の物を持って洞窟を往来しているのを見て、乙女たちに問おうとするのですが、みんな隠れてしまいました。
そこに、髭の翁が現れて、言います。

「ここは竜王の娘である玉依姫命(たまよりひめのみこと)の宮殿であり、この国の大神の海幸浜である。東の方角にある大神の鎮座する山があるから、そこを尋ねなさい」

皇子は、東の山を目指して向かうのですが、途中道を失います。
その時、三本足のヤタガラスに導かれ、羽黒山の阿久岳に着きました。
これにより、由良の浜を八乙女の浦とし、皇子の降り立った山を羽黒山と名づけたと言われています。
その後、月山に続き、湯殿山を開山し、出羽三山を開いたと言われています。

伯禽島姫と呼ばれた玉依姫命は、江戸時代は、羽黒神とされていました。
羽黒神は八乙女浦の洞窟を母胎として誕生したとされ、この洞窟は羽黒山本社の宮殿と地下でつながっているとも言われています。

 

能除仙と呼ばれ今もなお親しまれる蜂子皇子

羽黒では、人々の悩みや苦悩を取り除き、よく面倒を診たため現存する蜂子皇子の肖像の顔が黒くなっているものが多いと言われています。
しかし、能除仙(のうじょせん)や能除太子(のうじょたいし)と呼ばれ恩恵を受けた地元の人からは今でも深く愛されている皇子なのです。

 

出羽三山神社よりやや離れて

蜂子神社があるのは、羽黒山の出羽三山神社より少し離れた場所にあります。
月山、湯殿山が冬季は雪のために閉鎖されるため、羽黒山にはそれら二つの神社が一緒に祀られてあります。
羽黒山に行けば、出羽三山を参拝することが出来るのです。

観光客を始め、地元の人々で賑わうその三山神社から少し離れた静かな場所に、蜂子皇子の神社があります。

 

柔らかな光に包まれるパワースポット

森の中の少し開けた場所に佇むようにしてある蜂子神社は、三山神社ほど知られていないためか、訪れるものも多くありません。

そこは、修験道の山とされる羽黒の重く硬いエネルギーとは違って、優しく柔らかいエネルギーで満ちています。
手を合わせると、ふと神の光に包まれているような温かく柔らかいものが、自分を抱きしめてくれているように感じるのではないのでしょうか。

 

他の神社とは一線を画するエネルギーを味わう

修験道たちは、固く辛い修行をするためかその神社も同じようなエネルギーで満ちていることが多いのです。
しかし、蜂子神社のエネルギーは違います。

こんな優しいエネルギーのものが、修験を経て出羽三山を開いたのかと想うと、その逸話や伝記に残されている以外の優しさや人柄を想像せずにはいられないほどです。

出羽三山の有名さに隠れて、表に出ないことが少し残念です。

 
蜂子神社を訪れるとき、味わってみてください。
優しさに包まれる柔らかい光の腕を。

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