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中国で生まれた風水の思想と日本への渡来~風水の起源と歴史を紐解く

風水
 
20年ほど前に一大ブームとなり、日本でも知名度の高い風水。

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風水は古代中国で生まれ、何千年もの時をかけて進化・発展し、世界中に広まっていった思想の一つである。風水の名前は多くの日本人に知られ、たくさんの関心を集めている。

 

1・ 風水思想の始まり

中国では、風水は、地理、堪輿(かんよ。天と地の意味)とも呼ばれる。

風水の思想はそもそも、住居や墓、都市の配置の吉凶を判断するための知識と技術であった。生きている人間の住居を、陽宅、死者の住居を、陰宅と呼ぶ。陽宅と陰宅を明確に区別することが、生者と死者それぞれにとって良いものだという考えが、風水の始まりだと言われている。これがどれくらいの時代であったかは明確ではないが、少なくとも紀元前の出来事である。

陽宅の考え方はやがて家相という風水の思想になり、陰宅は墓相となった。現在の中国では、風水と言えば家相よりも墓相を指すことのほうが多いようである。

 

2・ なぜ風水というのか

風水は、最初から「風水」という名前で呼ばれていたわけではない。前述のように、地理、堪輿、家相、墓相がその呼び名であった。

中国の唐王朝(618-907)の時代に成立したとされる「葬書(そうしょ)」という書物がある。「気は風に乗れば則ち散り、水に界せば則ち止る。…ゆえにこれを風水という」。ここに書かれている「風水」は、いわゆる風水という思想を意味していたものではなかった。しかし、いつのまにか「葬書」は風水の名前の由来とされ、地理や堪輿の思想は風水として定着していった。風水という神秘的な魅力を持つ言葉が、風水発展の要因の一つであったかもしれない。

 

3・ 土地を読む風水と、気を読む風水

中国で発展した風水は大きく2つの思想に分けられる。

土地の起伏や水の流れを読む、巒頭(らんとう)という思想と、天と地の間を流れる「気」を読む、理気(りき)の思想である。日本でも人気の、竜脈(りゅうみゃく)や竜穴(りゅうけつ)と呼ばれるものは、巒頭の思想に通じる。現在、日本で風水と呼ばれているものは、「気」を読む理気の思想である。

 

4・ 日本への渡来から、現在日本の風水へ

風水は、奈良・飛鳥時代に日本に渡ってきた。風水の思想は日本の陰陽道の発展に影響を与え、家相の思想が日本独自の発展を遂げ、現在日本の風水の形になっていった。例えば平城京や平安京、江戸城は風水に基づいて設計・建設されたと言われている。

より良い住居を選ぶための知識・技術としての古代中国の風水が、何千年の時を経て、現代日本の風水思想に繋がっている。時代と場所が違っても、より良い環境に暮らしたいという、人間の願いは変わらない。

宇宙時代とも呼ばれる時代がやがて訪れた時、風水は、どのような形で存在するのだろうか。

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