無くしたカミソリが身代わり地蔵になってくれた?ひとつのジンクスと言えるのかも
私はそこまで普段の日常を神経質に過ごしているわけではないです。
ただ、妙なことを気にしたりします。
例えば、こういう経験はないでしょうか。
「いつもどおり」が安心する
朝、家をでる直前にかけてあるコートが落ちてしまったとします。
それを放ってはおけない、つまりそのままの状態で家をでたらなにか良くないことが起きるのではないか…ということです。
こういうのはジンクスにも近いものがあるかもしれません。
できるだけ、日常のルールといいますか、イレギュラーなことを排したいという気持ちは少なからず働くものですね。
ですが、なかなかそううまくいかないこともあります。
というのも、大事にしていたもの、大事というほどでもないけど、いつも使うものが突然なくなってしまうことがあります。
もちろん、私の不注意でどこかに落としたのかもしれません。
別に携帯電話とか財布とか、そういうものではなく、たとえばいつも使ってるブラシだったりとか、よく着る服とか、その程度のものです。
身代わり地蔵だったのかも?
私は幼少期のころ、かばんにつけていたぬいぐるみというか、ストラップがなくなってしまい、泣いてしまったことがあります。
そのとき、母から「それは身代わり地蔵になったんだよ」と言われました。
なにか危ない出来事を未然に防いでくれて、そのかわりになくなったのだ…と。
当時、それで納得したのかどうかはっきりとは覚えてないですが、その”身代わり地蔵”というキーワードがずっと頭のなかに今でも残っています。
先日、高速道路で間一髪の瞬間がありました。
私は真ん中の車線を走っていたのですが、右車線の車がちょっと混んでいたようで、急に真ん中の車線に車線変更してきました。
私は慌ててハンドルを左に切ってギリギリでかわしたのですが、その時は左の車線を見ていなかったので、もし左に車がいたら大きな事故になっていたことでしょう。
死んでいたかもしれません。
実は、その日に前後して、いつも使っているカミソリをなくしてしまいました。
別に高価なものではありませんし、その時はなんとも思っていなかったのですが…
物はよくなくすほうではないのですが、私はそれから物をなくしたら、
”きっと、なにか良くないことから守ってくれたのかな”
と思うようにしています。
そして、それと同時に長く使わせてもらった、道具への感謝をするようになりました。
普段、たくさんのものを現代人は使っています。
もしかしたら自分の家族よりも、ずっと長くともに時間を過ごしている道具も多いかもしれません。
道具への感謝、忘れてはいけませんね。