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19世紀末西洋手相業界に組織していた「ロンドン手相学協会」手相を科学する団体だった?

手相

 

 
17世紀、18世紀の近代科学の発達によって衰退してしまった西洋手相術ですが、19世紀に入ると再び復興します。
ナポレオン時代のフランスでは、ダン・パルチニーとデバロールというふたりの手相家が出て、西洋手相術の基礎を作りました。彼らの功績は、数多くの文献や経験値、データを収集し、経験科学的に整理分類して研究したことです。

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ナポレオン三世の皇后の運命を予言した

よく引用される話では手相家デバロールは、ナポレオン三世の皇后ウジェニーが帝政崩壊後の45才のときに、暴徒に襲われるという災難を予言していたことから、大きく注目されることとなりました。
このデパロールは手のひらの紋様を分析する「キロマンシー(掌紋学)」を、またダン・パルチニーは「キログノミー(手型学)」を提唱しました。この2つを統合することで今日につながる「キロソフィー(手相学)」生まれたのです。

 

 

現代手相学の元祖キロ

19世紀末にはイギリスで「ロンドン手相学協会」が設立されます。この協会の理念は、

1)科学的リサーチのレベルまで手相の研究を高めること。
2)すべての手相術の部門の研究を促進すること。
3)山師や詐欺師に対する公共のための保護団体としての役割を担うこと。

の3つだそうです。
イギリスでは、デバロールの弟子で現代手相学の元祖と呼ばれるキロ(本名はルイ・ハーモン。キロは手を意味するペンネーム)という手相術の大家が出ました。キロの手相術は的中率がきわめて高く、有名人の運命を次々に当ててロンドンの社交界で一躍人気者になったそうです。
キロの出現によって、西洋手相術はこれまでにない隆盛期を迎えることになりました。

 

 

日本の手相占いにも大きな影響を与えた

日本では明治維新と文明開化によって西洋手相術の知識がもたらされ、その豊富な経験値やデータ、医学や心理学などと結びついた科学的分析手法から、手相の研究が本格的に始められました。大正時代にはキロの著作も紹介され、西洋手相術をベースとした日本の手相占いの流れは現在にまで続いています。

 

 

現代の手相術はポジティブシンキング

現代の西洋手相術は、古い歴史のなかでの占星術との関わりを基礎としながら、現代の人たちの指向に合わせた形へと変化してきています。
特に、災難や事故、病といった不運よりも、その人の才能や幸運、可能性などを手相から見いだすといったポジティブシンキングが主流となっており、持って生まれた運命と、人生の経過によって変化する運命の両方が両手のひらに表されているという、手相術独特の考え方は、これからも多くの人に支持され続けるのではないでしょうか。

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