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手相占いはヨーロッパで発展した。街角占い師がまとう東洋のイメージは明治以降のもの

手相

 

日本で手相占いといえば、街角などで座って鑑定のお店を出している易者さんのイメージがあるせいか、なんとなく東洋の占いというイメージが強いかも知れません。
しかし実は、手相術はヨーロッパで発展した占いであり、日本の手相占いも明治時代以降、それまでの中国から入ってきていた東洋手相術に加え、西洋の手相術を中心にして発展してきたものなのです。

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ルネサンスは手相術も華開かせた

インドを起源にギリシャを経てヨーロッパに入ってきた手相術は、ローマ帝国がキリスト教を国教にしてからは否定され、長い空白期間に入ってしまいました。
しかし、12世紀にルネサンスが起こると手相術も復活することになります。
ルネサンスというのは、簡単に言うとギリシャやローマの古典古代の文化を復興しようという運動であり、様々な芸術や文化と共に占星術をはじめとした占いも再興されました。
手相術も長い眠りから覚め、それまで埋もれていた断片的な知識や経験値を繋ぎ合わせるかたちで、今日に続く西洋手相術の原型が出来ました。
 

 

宇宙と結びついた手相

14世紀頃になると、手相術は次第に占星術との結びつきが強くなっていきます。
もともと手相発祥の地インドでは、人間の運命は天体が司り、それが手のひらに宿って人の運命を導いていくという考え方から手相術が始まったと思われますが、ヨーロッパでも占星術の発展と共に手相と関連づけられていきます。
つまり、天体の配置(マクロコスモス)と人間の身体の各部分(ミクロコスモス)は対応しているという考え方です。人の身体は宇宙と結びついた小宇宙=ミクロコスモスであり、宇宙とつながって人を導く運命が、その人の身体に表されている、ということですね。
手相を示す線や丘に太陽や火星、土星といった占星術と結びつく名前がついているのは、そういった理由からなのです。

 

 

隆盛と衰退

15世紀には手相術に関する本が様ざまに出版され、印刷技術の発達によってヨーロッパ各地へ広まっていきます。またジプシー(ロマ)による手相占いも盛んになり、一般民衆の間でも広がっていったと思われます。
占星術と結びつきを強めた西洋手相術は、16世紀から17世紀にかけて隆盛期を迎えることになりますが、やがて18世紀に入ると大きく衰退してしまいました。それは科学の発達、特にコペルニクスの発見など宇宙に関する科学的な発見や研究によって、古代ギリシャからの宇宙像が否定されていったことに大きく関係します。
占星術と共に手相術も衰退し、今日につながる再復興は19世紀を待たなければなりませんでした。

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