暦と占いに翻弄されていた平安貴族~日本における占いの歴史
古くから、人類の文明があるところには占いはあったようです。
西洋は昔から、星の位置をよく観察していました。
そのため、西洋占星術などは天体の星や惑星の位置などを計算して占います。
おそらく、そのやり方が発展して天文学になり、大航海時代に繋がっていったのではないでしょうか。
文明の有るところ占い有り
既に滅んでしまった、滅ぼされてしまった文明にも、占いはあったようです。
例えばマヤ暦占いといわれるものなど。
このマヤ暦について、本来これは現代と同等またはより高度な天文学などを利用し、気候の変化などの予測を立てて種まきや収穫をはじめとする生活のありとあらゆることに利用していたものです。
日本最古の占い
日本での占いについて、弥生時代あたりには既にあったという考えもあるようです。
ただし、その当時の日本で書かれた日本の文献というのが歴史上存在していないとされています。
日本の古代文字の文献というものがほとんど消失しているためです。
中国から漢字が伝来したために、駆逐または淘汰されてしまった、と考えられています。
邪馬台国の卑弥呼は神様のお告げで統治していたとされています。
これは、神託といわれるものに当たるでしょう。
いわゆるチャネリング、という方がわかりやすいかもしれませんね。
平安時代にはすでに生活に密着していた占い
発祥は中国から伝わったものや、それが時代とともに、または日本に入ってきてから多少なりとも変化をしながら現代までその手法が伝えられています。
日本に占いが伝わった時代は諸説あります。
弥生時代~平安時代に中国から伝わったのが最初、と言われています。
平安貴族が、日々の生活を占いや暦などに振り回されていたといいます。
当時の文献にそのようなことが文書に残っています。
残されているといっても、振り回されて云々ではなく、日々の生活を淡々と記したものがあります。
それを読み解いた結果、生活から行動まで制限が多くあったと記述があります。
そう考えると、少なくとも平安時代か、それより前ということになります。
平安貴族は現代人より暦に振り回されていた?
平安時代と全く同じものではありませんが、六曜二十八宿(ろくようにじゅうはっしゅく)という暦があります。
日めくりをお持ちの方はめくって見てください。
そこに、その日の六曜と二十八宿の記載があり、二十八宿の解説が載っています。
その日それぞれの吉凶が、こまごまと書いてあります。
たしかにこの通りに日常を過ごすとなると、縛りが多すぎて行動出来なくなるというのも肯けます。
六曜と二十八宿については、別の章に記載しました。