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村落獅子:屋根のシーサーとは違う!村を守る伝説の守護像

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沖縄の「シーサー」と言うと屋根の上に乗っていたり家の門にいたり、というのが一般的だと思いますが、じつは様々なシーサーが存在するのです。

家屋の屋根の上や門にいるシーサーは「家獅子」と区分されるそうで、城郭や寺社、墳墓などに付随して設置されているものが「宮獅子」、古くからある村落の守護獣となっているシーサーが「村落獅子」で、そのほか獅子舞や舞踊に使われる「木製獅子」、建物や用具などに付随する「付属彫像獅子」などがあります。

そのなかで今回は、「村落獅子」について見てみることにしましょう。

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豊盛の村落から始まった村落獅子

沖縄の古い村落には、村の入口や高台などに石造りのシーサーが設置されているところがあり、これは村落獅子と呼ばれています。村落獅子はその村の守護獣=守護神であり、村落の人びとからとても大切にされています。

そもそもは、別の記事でご紹介した沖縄で最古の現存するシーサーである、沖縄本島南部の島尻郡八重瀬町豊盛の「豊盛の石彫大獅子」が発祥とされています。この豊盛のシーサーは、当時この豊盛の村に火災が多かったことから風水師に占ってもらったところ、「火山(フィーザン)」と呼ばれていた山の八重瀬岳に向かってシーサーを置くと良いと言われ、火除けの村の守護獣として設置されたもの。八重瀬岳が望める他の村落でも、それにならって八重瀬岳に向かってシーサーが置かれています。

豊盛のシーサーから始まった村落獅子は、現在でも60ヵ所余りの村落にあるそうで、現在は失われてしまったものを含めると全部で80ヵ所余りの村落にあったのだそうです。

 

魔物から村落を護ったシーサーたち

豊盛のシーサーが設置されたのが第二尚氏王朝時代の1689年と記録されていて、このときから村落獅子が始まり、18世紀から19世紀頃にピークを迎えたのではないかと考えられています。沖縄のシーサーは王宮のある古都・首里を中心に彫刻や像の設置が始まり、やがて近郊から主に沖縄本島南部に向かって広がって行きました。現在でも村落獅子は南部の村落に多くあります。

村落獅子は、その村に1体または対の2体だけのものもあれば、3体以上の複数のシーサーを設置している村落もあります。現存するのは全部で106体だそうですが、それらのシーサーは南向きが多く、またすべてが火難を招く「火山(フィーザン)」や「城(グシク)」と呼ばれる高い山、あるいは怪物と考えられている岩やぶきみな場所に向かって設置されています。

つまりこれらのシーサーは、すべてが魔に対してその村を護る守護獣であり、魔除けの神であるのです。それは、古代オリエントで都市や建物を護る守護獣であったライオン像と通じるものであると言えるでしょう。

 

御殿を火災から護る御茶屋御殿のシーサー

村落獅子は最古の豊盛のシーサーが1体だけであるように、一般的に現在のシーサーの姿とイメージされている、片方は口を開きもう片方は口を閉じている「阿吽」の姿の2体で対になったものとは限りません。

「御殿獅子」と呼ばれる御殿を護るシーサーの「御茶屋(ウチャヤ)御殿(ウドゥン)石獅子」は、かつてあった琉球王府の迎賓館である「御茶屋御殿」(那覇市)に設置されたシーサーです。御茶屋御殿は17世紀後半に建設されたもので、シーサーもその頃に設置されたのだと思いますが、沖縄戦で破壊されてしまい現在あるものは復元されたものです。

御茶屋御殿のシーサーは2体の対ではなく1体だけのシーサーで、豊盛のシーサーと同じく八重瀬岳に向かって設置されていました。つまりこのシーサーも「火返し(ヒーゲーシ)」のシーサーで、火災から御殿を護るシーサーだったわけです。

復元されたその姿を見ると、大きなどんぐり目、大きな鼻、そして開いた大きな口がとても親しみやすくユーモラスでもあり、中国の唐獅子そのものではなく、沖縄独自のシーサーとなった姿を伝えているようでもあります。

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