> >

天狗の歴史…江戸時代になって庶民の身近な存在になった天狗たち

天狗
 
いきなりですが、日本にいったい何種類の妖怪がいるのかご存知ですか?

妖怪という妖しくも不思議な存在は、古代から言い伝えられてきたものや海の向うから渡って来たもの、あるいは人間の想像力が生みだしたものまで数多くありますが、はたしてどのぐらいの数がいるのでしょうか。江戸時代に妖怪を描いた鳥山石燕の「図画百鬼夜行」など4種類の画集には、合わせて206種類の妖怪が載せられています。しかしこれは日本の妖怪のほんの一部で、21世紀になって刊行された「日本妖怪大事典」という本の総項目数は1,592だそうです。総項目数イコール妖怪の数ということではないでしょうが、かなりの数です。一説には種類は約1,000種類、絵や資料に残されている妖怪は約400種類とも言われています。

スポンサードリンク


 
そんな日本の妖怪のなかの代表格は、やはり鬼や天狗ということになりますが、なかでも天狗は他の妖怪と一線を画す独特な存在と言えるかも知れません。

 

時代とともに変化、進化してきた天狗

というのも、天狗のように時代とともにその存在や地位が変化し、進化してきた妖怪はいないからです。例えばカッパはいつでも川に棲むカッパですし、天狗と並んで伝説や種類、数の多い鬼でさえも、その地位が大きく上がることはありませんでした。

しかし天狗の場合は、平安時代に日本独自の存在として再登場して以来、人をたぶらかしたり僧の修行を邪魔したりする妖しい存在から始まり、日本古来の山岳信仰や修験道、密教、そして怨霊信仰などと結びつきながら、武家の世の中になると日本の政治に陰から影響を及ぼすような存在や地位へと進化して行きます。

特に南北朝から室町時代、戦国時代へと歴史が流れていくなかで、天狗は神の眷属(神の意志を伝え実行する存在)や神そのものともなり、八天狗といった日本を代表する大天狗が知られるようになります。配下も合わせると全国には、十数万の天狗がいるとされるようになりました。

天狗は大きな力を持った存在として認識され、武力が世の中を左右する日本の動乱の時代にその地位を築いて行ったと言えるかも知れません。

 

平和な時代の天狗

やがて戦国時代が終わり、江戸時代という長い平和な時代になります。そして、この時代の大きな変化は天狗にも影響を及ぼします。

天狗は陰から世の中の動乱を起こすような存在ではなく、民間信仰と結びついてより庶民に身近な存在になっていきます。特に武家の戦いがなくなった平和な時代において、庶民が最も恐れたのは火事でした。そのようななかで天狗は、愛宕権現信仰や秋葉権現信仰などの火伏せの神への信仰と結びついて、火事を防ぐ神様として祀られるようになります。背中には翼があり鼻が長く、高下駄を履いた大天狗である鼻高天狗の姿が一般に定着するのは江戸時代のことですが、この大天狗が羽団扇(はねうちわ)を手に持っているのは、天狗がこの団扇で火や風雨を操ることができるとされたからです。つまり火や風、雨を自由自在に操れる天狗だからこそ火事を防ぐことができるとして、天狗は火伏せの神様となったわけです。

一方で天狗は、時には庶民の前に現れて怪異や不思議なことを起こし、そういった伝説や体験談が江戸時代の都市伝説として知られるようになります。江戸時代には妖怪ブームが起こりますが、そういったこともあって天狗に対する研究も盛んになり、天狗という存在やその姿がまとめられて行きました。

このエントリーをはてなブックマークに追加


スポンサードリンク
スポンサードリンク

Comments are closed.