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千年越しの謎!竹取物語の作者は誰なのかを考察する!

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物語や絵画、映画、ドラマなどは、人間ひとりだけの想念や資本で成り立っているわけではありません。しかし、すべてのアーティスティックな作品は、文筆作品に原策があるように、ドラマや映画やアニメなどでも原案や原作があるように、おおもとを考えた何者かは存在しています。なかには例外的に、多くの人々の伝承が、自然発生的になんとなくつながっていって、大きなうねり=情報になるような場合も存在します。現代的にいうならば、SNSを介した芸能人のうわさなどが例です。

こうなってくると、対象となる事象や情報が、真実か否かということは、もはや問題ではなくなってきます。これはある意味危険な状況ともいえるのですが、こういった大前提がある中、「作者不詳」ということを前提、または事実として、現代にも「竹取物語」が成立し続けています。

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作者は特定されているとの説も

作者不詳の竹取物語は、長い年月による物語変節を経て、現代の形に落ち着いています。そもそもの物語が、フィクションかノンフィクションも明確にはなっていないのですが、現代的常識的な観点からすれば、「主人公のかぐや姫が竹の中から生まれる」、「数か月で成人する」、「もともと月にいた人なので、成人後は月に帰る」、「月からの迎えの人達は光り輝き、地球の人々は金縛りのようになって身動きができない(または攻撃しようとすると、攻撃意図や物理的アクションを封じられる)」といった物語中のエピソードからも判断できるように、おそらくはフィクションなのでしょう。

しかし、ノンフィクションであるという可能性も捨てきれません。なぜならばフィクションというものは、現実世界の延長線上に、仮説として設定されて検証の対象となったり、現実世界の誇張として意図的にファンタジックに描かれたりすることも多いからです。

実際問題「竹取物語」には、現実的なエピソードもたくさん含まれていますし、さらにいえば、「原作者と思われる人物」も、何人かあげられています。作者が特定できる、という説も、存在しているのです。

 

作者は上流階級の反体制側の人物か

竹取物語の作者を特定する議論の中で、識字率が着目されました。識字とは、文字の読み書きができたり、意味や意図を理解したりするという意味なのですが、竹取物語の原案が製作されたという9~10世紀の日本の状況を考えると、作者が純粋な庶民であったとは考えづらいでしょう。なぜならば、竹取物語で語られている内容は、当時の日本の庶民が持っていたであろう識字率を超えているからです。

作者は、文字の読み書きや読解能力のある上流階級で、なおかつ竹取物語に登場している上流階級関係者の人々の情報を知りうることのできる人、それにストーリー上権力者が敗北し、なすすべもなくかぐや姫が月に帰ってしまうことは、見方によっては「反体制」とも読めることから、作者は当時日本で権力を握っていたといわれる藤原氏ではなく、対抗勢力に属していた人物ではないか、といわれています。

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カテゴリ: その他

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